話すことが苦手なあなたへ
このブログで立ち止まってくださり、ありがとうございます。
少しその傷ついたこころと疲れたからだを休めていってください。
人前で話すとき、何を話したらいいか分からない。
人から見られているという事実が、心を圧迫する。
きちんと準備しても、声が出ないし、頭が真っ白になる。
大勢の前はもちろん、小グループの中でも、一対一でも、話すことが苦手。
そんなあなたは、いまのこの世の中、とても生きづらい思いをしているのではないでしょうか。
時には無理をして人に合わせたり、無理に明るくふるまって見たり。
そして、気づいた頃にはからだもこころも疲れて、動けなくなったり涙してしまったり。
本当に、よく頑張りましたね。心から、尊敬します。
「話す」ことが依然としてコミュニケーションの第一手段であるこの世界で、あなたはしっかりと耐えて生き抜いてきました。
他の人がこの世界に生き抜いていることと、あなたが生き抜いていることは全く違います。あなたは全身全霊でこの世の中に生き、自分の苦手を日々実感させられながらも、一生懸命に毎日を過ごしてこられた。
それだけで、尊敬されるべき素晴らしいことなのですよ。
自分という存在に、いのちに、こころに、どうか自信を持ってください。
そして、会ったことのないあなたのことでも、私には分かります。
ここでこのブログを読んでくれているあなたには、「話すことが苦手」でも、それを補って余りある優しさがあります。
同じ立場の人の気持ちを分かってあげられることは、経験したからこそできること。あなただからできることです。
それ以外にも、話すことが苦手だからこそ、研ぎ澄まされたある感覚が他の人より秀でている、ということが必ずあるはずです。
あなたにこそ救われる人が必ずいるのです。
かつて、相手がだれであっても、家族であっても相槌を打つことしかできない少女に会いました。
その子とスマートフォンでラインでのやりとりをしたところ、一般の女子高生や女子大生よりはるかに速いスピードでキーを打ち、しかも、その文体も流れるように優雅でした。的を得ていて、少し前の話に戻ってもスクロールして読み返すそぶりもない。しっかり記憶していたのです。
会話の能力がないのではなく、この子は人一倍会話に一生懸命なだけなんだ。そう感じました。
思わず「すごいね!」と言ってしまった私に向けた、あの朗らかな笑顔は忘れられません。
「苦手」という言葉はとても曖昧です。
一生懸命すぎるがゆえに、誠実すぎるがゆえに、相手のことを思うがゆえに、あなたは会話が苦手になってしまったのかもしれません。
あなたが人一倍優しく、一生懸命だから。
それをほんの少しでも解きほぐし、「ちょっと言葉にならないんだけど…」という前置きや「どう言ったらいいか分からないや」と素直に気持ちを言うことができたら、もしかしたらあなたとの会話をもっともっと楽しめる人が出てくるかもしれない。
もちろん、無理はせず、あなたはあなたのままでももちろん素晴らしい。
良いところを生かし、のびのびと人生を送ってほしい。
あなたはこのコミュニケーション第一主義の社会で、しっかり生き抜き、毎日を一生懸命、全身全霊で存在している素晴らしい人だから。